大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和38年(ネ)167号 判決

控訴人 上村進 外二名

被控訴人 国

訴訟代理人 宇佐美初男

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

昭和二十六年九月一日当時の法務府特別審査局長吉河光貞が法務総裁の決裁を経て控訴人らを団体等規正令(昭和二十四年政令第六十四号)並びに占領目的阻害行為処罰令(昭和二十五年政令第三百二十五号)違反容疑者として最高検察庁に告発したこと、その容疑内容は、控訴人らが日本共産党臨時中央指導部員であつて、他の部員訴外椎野悦朗外十四名と共謀して昭和二十六年七月頃東京都内において、控訴人主張の(1) ないし(5) の連合国占領軍に対する虚偽又は破壊的批評を論議し、又はこれに基いて占領軍に自ら反抗反対するばかりでなく、他をしてこれと同一行動をとらせるよう指令し或いは通達する文書をそれぞれ多数印刷し、同年七月二十八日頃これら文書を日本共産党鳥取県委員会その他全国の同党都道府県委員会宛に送付し、以て団体等規正令第二条第一号、第三条、第十三条並びに占領目的阻害行為処罰令第一条、第二条に該当する行為をしたというものであつたこと、右告発に基き昭和二十六年九月一日東京地方検察庁検察官より右告発に係る各政令違反の嫌疑があるとして東京簡易裁判所裁判官に対し控訴人らを被疑者とする逮捕状及び捜索差押許可令状の発付請求がなされ、その請求を容れて同日控訴人ら主張の各裁判官より請求に係る各令状が発付され、この令状により控訴人らが捜索、差押を受けかつ逮捕され、次いで同月七日控訴人ら主張の各東京地方検察庁検察官により東京地方裁判所裁判官に対し、それぞれ控訴人らの勾留並びに刑事訴訟法第八十一条の接見等禁止の請求がなされ、その頃控訴人ら主張の各裁判官により右請求に係る勾留状の発付並びに接見等禁止がなされたので、控訴人らは逮捕に引続き接見等を禁止されたまま同月二十六日まで勾留されたこと及び右告発、逮捕状及び捜索許可令状発付請求、同発付、勾留及び接見等禁止並びにその各請求等はいずれもこれをなした当該特別審査局長、各検察官、各裁判官等がそれらの職務の執行としてなしたものであることは当事者間に争がない。

控訴人らは右容疑における違反の対象たる団体等規正令並びに占領目的阻害行為処罰令は、その基本たる昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言受諾に伴い発する命令に関する件(以下ポツダム勅令と略称する)が、制定当時の旧憲法第八条及び前記容疑事件の当時施行されていた現行日本国憲法第四十一条に反し無効であるため、右各政令もまた無効であるし、又被疑事実の適用法条である団体等規正令第二条第一号、第三条、第十三条及び占領目的阻害行為処罰令第一条、第一一条は日本国憲法第二十一条違反であるから無効であり、従つてこれに基いてなされた前記特別審査局長、検察官及び裁判官らのなした職務執行行為は違法であると主張する。

しかし、右ポツダム勅令は旧憲法の下においても有効であり、平和条約発効前のわが国の統治権が連合国の管理下にあつた当時においては旧憲法及び日本国憲法にかかわりなく憲法外において法的効力を有し、従つてこれに基く団体等規正令並びに占領目的阻害行為処罰令もまた有効であつたことは最高裁判所大法廷の判例の趣旨とするところである(最高裁判所昭和二十三年六月二十三日大法廷判決刑集第二巻第七号七百二十二頁、昭和二十八年四月八日大法廷判決刑集第七巻第四号七百七十五頁、昭和三十六年十二月二十日大法廷判決刑集第十五巻第十一号二千十七頁各参照)。従つて平和条約発効前になされたことの明らかな控訴人ら主張の前記各職務執行行為には右控訴人ら主張のような違法はない。

次に、控訴人らは、前記被疑事実は虚構のものであるから前記各公務員らの職務執行行為は違法であり、又控訴人らの運動を弾圧してその政治活動を封殺する意図の下に、政府の反対党の言論、結社の自由弾圧に運用されたもので日本国憲法第二十一条に違反するから違法である旨主張するので判断する。

原審証人柴田道賢の証言により原本の存在したこと及びその成立を認めうる乙第六、七号証、右証言及び原審証人吉河光貞の証言によれば、連合国最高司令官の日本国政府に対する日本共産党各県委員会発行の党機関紙を「アカハタ」の同類紙としてその発刊停止の措置をとるべきことの指令に従い、法務府特別審査局により昭和二十六年八月十四日日本共産党各県委員会の機関紙停刊のための措置がとられたがその際特別審査局中国支局において同党鳥取県委員会発行の党機関紙「大衆路線」の停刊措置のため同日同委員会事務所を捜索したところ、秘密文書隠匿場所と思われる右事務所地下室板壁の裏側から機関紙類多数とともに乙第一ないし第五号証と同一内容の文書多数が発見され、又特別審査局四国支局において同党香川県委員会発行の党機関紙「香川党活動指針」の停刊措置のため同日同委員会の秘密印刷所と思料された訴外寺尾辰四郎方を捜索したところ、同人方にあつた石油箱二個の中から同党関係の各種機関紙とともに乙第一ないし第四号証と同一内容の文書が発見されたことを認めることができ、右認定を動かすに足る証拠はない。そして乙第一ないし第五号証によれば、乙第一号証の文書は〈中〉指令一九五一、七、二三と標記され「朝鮮停戦の成功のために更に斗争を発展せしめよ」との見出しが付せられ、作成者の表示がなく、乙第二号証の文書は〈中〉指令一九五一七、二三と標記され「宣伝攻撃を一斉に強化せよ」との見出しが付せられ、作成者の表示がなく、乙第三号証の文書は一九五一、七、二六と標記され「印刷活動の強化のために訴える」との見出しが付せられ、作成者の表示と認められる「日本共産党臨時中央指導部」なる表示があり、乙第四号証の文書には〈中〉通達七月二十二日と標記され『朝鮮における「外国軍隊の撤退」要求の支持斗争を組織せよ。』との見出しが付せられ、作成者の表示がなく、乙第五号証の文書は資料一九五一、七、一九と標記され「日帰同中央常任委員会に巣くふスパイ山口鉄男について」との見出しが付せられ、作成者の表示と認められる「臨時中央指導部統制委員会」なる表示があり、右各文書は連合国占領軍に対する破壊的批評を論議し、又はこれに基いて連合国占領軍あるいはその日本管理政策に自ら反抗反対するばかりでなく、他をしてこれに同調させるべきことを指令しもしくは通達する内容と認められる記載があることを認めることができる。

又、以上の各証拠、当審証人柴田道賢の証言により原本の存在したこと及びその成立を認めうる乙第八、九弓証、右証言及び原審証人高橋正八の証言によれば、法務府特別審査局では日本共産党鳥取県委員会事務所及び同党香川県委員会印刷所で発見された右文書のうち乙第三号証及び第五号証の各文書にはいずれも同党臨時中央指導部の名称が作成者として表示されており、その他の内容が占領軍に反抗反対する趣旨のより露骨な乙第一、第二及び第四号証の各文書には作成者が明示されていないけれども同党臨時中央指導部を表示すると思われる〈中〉なる記号が標記されていること、乙第五号証の文書を除いていずれも特別審査局においてかねて入手していた「貯金通帳」と題する日本共産党の暗号書により探知していた同党のレポーター、地方委員会、県委員会、地区委員会及び党細胞をそれそれ意味するT6、大学、高校、中学及び小学なる文書を併列したゴム印による印影が押捺されていること、前記各文書の謄写版刷りの文字の筆跡がかねて特別審査局において入手していた同党中央部より発行された交書の筆跡と類似することなどにより右各文書は、日本共産党の当時の最高の意思決定及び執行機関である同党臨時中央指導部がこれを作成して全国の都道府県委員会に配布したものであると判断したこと、日本共産党では従来その最高の意思決定及び執行機関として二十数名の委員により構成される中央委員会があつたが昭和二十五年六月六日連合国最高司令官の内閣総理大臣宛書簡による指令に基づき同党中央委員全員が公職追放指定を受けて同党役員の地位を退いた後、中央委員会に代る機関として訴外椎野悦朗外七名を構成員とする暫定的な中央指導部を組織し、党の運営及び活動に当つてきたが、後そのうち三名が公職追放指定その他によりその地位を退き、構成員は同年九月頃から五名になつていたこと、法務府特別審査局では昭和二十六年三月頃以降、同党幹部の齔lから同党において小部数発行されて党内部に限り秘密裡に配布されかつその回収が厳密に実行されているという党週報なる名称の同月一日附文書を示され、同年二月頃開催された同党第四回全国協議会において臨時中央指導部の強化が審議された結果、前記五名の指導部員に控訴人らを含む訴外岩田英一外十三名を臨時中央指導部会議議員なる名称で臨時中央指導部構成員として加えて同指導部を組織したことを聞き、かつその旨の記載ある前記党週報を転写したという者から更にその旨の情報を得た者某からその情報の提供を受け、更に右情報提供者某と接触を続けて情報を得、かつ同人より右週報の後に発行された党週報約二種類の写真を入手して検討した結果前記情報を信用すべきものと判断したこと、以上の各判断に基づき特別審査局は控訴人らが日本共産党臨時中央指導部会議議員の名称を有する同指導部構成員として前記各文書の発行及び配布に関与したことにより控訴人らに前記各政令違反の容疑ありとし、前掲乙第一号証の交書に関し控訴人ら主張の(1) の被疑事実、乙第二号証の文書に関し同(2) の被疑事実、乙第三号証の文書に関し同(3) の被疑事実、乙第四号証の文書に関し同(4) の被疑事実及び乙第五号証の文書に関し同(5) の被疑事実につき同局長において控訴人らを含む臨時中央指導部構成員十八名を容疑者として告発したものであること、右告発に係る事件を担当した東京地方検察庁検察官高橋正八は特別審査局より同局においてなした前記判断の資料の提供を受け同局において右告発に係る事件を主として担任した同局調査部職員柴田道賢と面談して説明を受けた外、その頃たまたま東京警視庁管内荻窪警察署員により別の占領目的阻害行為処罰令違反被疑事件により或る日本共産覚員宅の捜索がなされた際捜索場所から前記各文書のうちの一枚と同一内容のものが発見されたことがあつたことをも前記各文書が全国的に配布されたことの証拠資料として、控訴人らを含む被告発者に前記各政令違反の相当な嫌疑があり、かつ従来のこの種の事案の経験に徴し、捜索と同時に被疑者を逮捕しなければ、逃亡及び証拠隠滅のおそれがあると判断し、以上の資料を添えて東京簡易裁判所裁判官に逮捕状及び捜索差押許可状の発付を請求するとともに裁判官に面接して事案を説明したこと、右請求の結果発せられた逮捕状等の令状により同年九月四日その執行をしたが、被疑者のうち半数以上は既に逃亡していたため逮捕に至らず、逮捕された控訴人らその他の者については依然として嫌疑が存続し、かつ共犯者が多く、半数以上が逃亡しているなどの事情から更に逃亡及び罪証隠滅のおそれありと判断して控訴人ら主張の各担当検察官より東京地方裁判所裁判官に勾留及び接見等禁止の請求をなし、以上の資料により右請求が認められたものであることをそれぞれ認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

原審における控訴人ら各本人尋問の結果及び原審証人河田賢治の証言中には、当時日本共産党臨時中央指導部には同部会議議員なる名称の構成員はなく、控訴人らが同指導部の構成員であつたことはない旨の供述部分があるけれども、右供述部分自体前掲各証拠に照し、そのまま直ちに信を措きうるものとはいえないのみならず、仮に控訴人らが同党臨時中央指導部の一員であつたことはなく従つて前記各文書の発行、配布に関与していなかつたとしても少くとも前記認定の各事実によれば、当時においては控訴人らが右各文書に関する前記各政令違反の罪を犯したと疑うに足りる相当な理由及び控訴人らが逃亡し叉は罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があつた場合と認めることができるし、又、控訴人ら主張の各公務員の各職務執行行為が、控訴人らが無実であるのにそれを知りながらなしたものであることの証拠もなく、又控訴人ら主張のような意図の下に、主張の目的による運用としてなされたものであることを認めうる証拠もないから、当時法務府特別審査局長以下同局職員が控訴人らに前記各政令違反容疑ありとしてこれを告発し、担当各検察官において控訴人らが右違反の罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由及び控訴人らの逃亡及び罪証隠滅のおそれありと判断して前記逮捕状等の令状並びに勾留及び接見等の禁止を請求し、担当各裁判官において右同様に判断して右各令状を発付し、あるいは勾留及び接見等禁止をなしたことは適法であつて、控訴人ら主張のような違法はない。

従つて控訴人ら主張の各政令違反被疑事件に関し、控訴人らについてなされた告発以下勾留等の一連の公務執行行為により控訴人らが損害を被つたとしても当該公務員が控訴人らに対し違法に損害を加えたときには当らないから、これに関する控訴人らの損害賠償請求は理由がない。

次に、昭和二十六年九月六日内閣総理大臣吉田茂が、控訴人らを公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令(昭和二十二年勅令第一号)の規定に基く連合国最高司令官覚書該当者に指定する旨の処分をなし、その旨控訴人らに通知したこと、及びその当時控訴人上村、同砂間がいずれも衆議院議員、控訴人堀江が東京都教育委員であつたが、右処分の結果同勅令第三条第二項により昭和二十六年九月二十七日控訴人らはそれぞれ右公職を失つたことはいずれも当事者間に争がない。

控訴人らは、控訴人らが昭和二十一年一月四日附連合国最高司令官覚書のいずれの項目にも該当しないし、又右指定処分は控訴人らの政治的信条を理由として政治的差別待遇を行つたもので憲法第十四条第一項に違反し、かつ控訴人上村及び同砂間については同控訴人らの政治的信条を理由として国会議員たる資格を剥奪したもので憲法第四十四条に違反し、更に控訴人らは言論、集会結社の自由を享受して政治活動を行う権利を憲法上保障せられているのに右指定処分は右権利を侵害するもので憲法第二十一条に違反すると主張するのでこの点につき判断する。

控訴人ら主張の指定処分の基本たる昭和二十二年勅令第一号は前記ポツダム勅令に基き制定せられた勅令であり昭和二十一年一月四日附連合国最高司令官覚書「公務従事に適しない者の公職からの除去に関する件」による最高司令官の指令を実施するためのものであるところ、「好ましからざる人物を公職より排除すること」の最高司令官の指令に従い内閣総理大臣がなす一切の行為については総理大臣は最高司令官に対して直接責任を負担し、最高司令官はこれに関する事項を一般的に政府の措置に任せてはいるが、それに関する手続の如何なる段階においてもこれに介入する固有の権限を保留していた(その結果として日本の裁判所は右指令の履行に関する除去又は排除の手続に対しては裁判権を有しなかつた)のであり、従つて内閣総理大臣は自らの判断により最高司令官の右事項に関する指令を実行しないことは許されなかつたのである。

わが国が連合国の管理下にあつた当時においては、一般には間接管理の方式により国内法に基づく統治が行われていたけれども、ポツダム宣言を受諾した降伏文章に基づき最高司令官には直接介入の権限が留保されており、総理大臣その他わが国の公務員は、最高司令官の介入があるときは、その占領目的遂行のため発する命令を遵守し又は施行すべき直接の義務を負つていたのであつて、最高司令官の指令の実施としての追放処分も最高司令官に対する直接の義務の執行に外ならず、その行為の性質自体国内法上の適法不適法を論ずる余地かないものというべきである。

本件においては、原審証人吉河光貞の証言によれば、控訴人ら主張の前記勅令第一号による指定処分(通称公職追放処分)については、右処分に先立ち連合国最高司令部民生局長リゾーから所管の総理府官房の岡田監査課長に対し、連合国最高司令官の内閣総理大臣への指令として、控訴人らその他の者につき公職追放処分をなすべきことが伝達され、右指令に基き控訴人ら主張の追放処分がなされたものであることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。してみると右追放処分は最高司令官の直接要求事項の実施にほかならず、国の公務員の国内法上の権限に基づく公権力の行使には当らない。従つて右処分がたとえ控訴人ら主張のように覚書の項目に該当せず又日本国憲法の条項と相容れないものであつて、これがため控訴人らが損害を被つたとしても、国内法上違法に控訴人らに損害が加えられたものとして国家賠償法第一条に該当するということはできない。(昭和二十四年六月十三日最高裁判所大法廷判決刑集第三巻七号九百七十四頁参照)

従つてこの点に関する控訴人らの損害賠償請求は理由がない。

よつて控訴人らの本訴各請求を失当として棄却した原判決は結局相当であるから、本件控訴を棄却すべく、控訴費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小沢文雄 仁分百合人 渡辺惺)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例